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台風10号豪雨災害被災地訪問記〔6〕

(前述が長くなってしまいましたが、

 ここからが実際に訪問した際の記述となります)

貧困ボランティア「ブルーシート」は、半年が流れた17年の春になって、メンバーも個人資金を準備出来つつあった。岩泉に「行かないわけにはいかない」共通の思いが日程調整へと動いた。


その時、岩泉の某氏から、5月27日に岩泉でライブがありますが「山とケ」さん来られるなら出てくださいと誘いがあった。
その日を絡めての日取りが決まった。

song of heavenを10回開催し、最終回を打ち上げ、もう、この道を走ることはないだろうと思った東北道を、私と妻、そして「山とケ(山口とケーナ)の四人は複雑な心境を隠して走りつづけた。
盛岡南インターで高速道路を降り、走り馴れた国道455号小本街道に入る。

盛岡から岩泉に通じる唯一の国道である。岩泉まで約80キロの険しい峠道である。災害時には、最後まで復旧工事が遅れた道でもある。
「早坂トンネル」を抜けると岩泉町のエリアに入る。
トンネルを抜けると景色は一変した。被災の現実が網膜に無理矢理映り 込み、旅気分は失われた。


▼被害状況を撮影
報道の映像や新聞の写真で良く分かっていても、被災地に足を踏み入れると必ず感じる事がある。

「アー!被災したんだ」
小本街道はずっと小本川に沿って走る。だから、ずっと豪雨災害の被災地が続く、まるで被災街道であった。
「あー!」とか「わー!」という会話にもならない感嘆符だけが車内に響く。

町の中心地に近づくにつれ、「あの人この辺の人だけど、大丈夫だったのかな?」などと具体的な心配の声が上がる。
我々に流れた1 0年の重味がのし掛かる。

いつの間にか、あちこちに友人知人が住む馴染みの土地になっているのだ。
普通、被災地に始めて来ると、その町の被災前の姿は殆どわからない。しかし、ここ岩泉災害被災地は被災前の姿を私達は鮮明に知っているのだ。

だからこそ、今、瞼に映る現実は悲しすぎる。重過ぎるのだ。


仮復旧工事を終えただけの箇所を何度も何度も通り抜ける。


やがて、臨時信号機が設置された一車線規制の箇所に来た。

「佐々木さんが動画レポートしてくれた場所だ!えっ、あの頃と何も変わってないのか?」

そのレポートとは、田野畑メンバーがタオル配付活動中に報告してくれたものである。すでに9ヶ月が過ぎている。
見てきた集落ごとの姿、道路復旧工事の様子。
それは、ほとんど被災当時そのままの姿であった。
全国的には、すでに忘れ去られた、災害現場の深刻な姿は、私達に強烈な何かを叩き付けていたのた。
アポイントなしで岩泉町町長に会いに行った。

「お〜ぉ!やっと来たなぁ」と言いたそうな表情で、町長室に迎え入れられた。

「我々は伊達町長のお顔をテレビで拝見しておりましたよ!」


song of heaven開催当初からの知人であり、津波災害の活動をとうして友人としての付き合いになっている人である。気さくな会話から真剣な今後の対策まで話は及んだ。

津波災害と豪雨災害の二連発の巨大災害を被った行政の長である。

災害をよく知っているブルーシートのメンバーだから、分かってもらえるだろうが……と前置きして、町長は重々しく口を動かした。

「災害は防げない。防げないから災害なんです。

 その事を踏まえた対策でなければ意味がないんですよ」


今後の全国の災害対策にとっても、大きな課題を突きつける言葉であった。


つづく

代表 角田四郎

author:ブルー・シート, category:最新情報, 16:34
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